気持ちいい関係。

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20.くーちゃん、熱を出す。


指折り数える旅行の日。
杏は九月の連休を楽しみに仕事に打ち込んでいる。
社内は例年のごとく冷房が効きすぎて杏の冷えを悩ませていた。
外気温との寒暖差に耐え切れず、杏はとうとう体調を崩してしまったのだ。
電車に乗ったときから頭痛に襲われ、まずいと思ったときには時すでに遅しである。
ふらふらとマンションへ帰ると帰り支度をしていた汐見に捕まってベッドに押し込まれた。

「杏さん。すごい熱ですよ」
「うえー。言わないでぇ。余計頭が痛くなるー」

うーと唸ると汐見の冷たい手が杏の額に触れる。
心地よさでうっとりしていると熱冷ましのシートが額に貼られた。

「祐哉さんがお戻りになるまでそばにいましょうか?」

祐哉が日曜日まで不在なのを知っている汐見は心配そうな顔をして杏の顔を覗き込んだ。
汐見にも汐見の生活がある。
これから家に帰って家族の食事を作らなくてはならないのだ。
迷惑をかけるわけにもいかず杏は首を振った。

「だいじょぶ」
「ですけど」
「お薬飲んだし、寝るだけだから」

もう一度大丈夫と言って笑うと汐見は渋々と引き下がった。
汐見の世話になるようになってからそんなに時間は経っていないが随分可愛がられていると杏は思っている。
息子ではなく娘が欲しかったとつねづね言う汐見は杏が娘のように見え可愛くて仕方がないのだ。
雇用関係にはあるが杏も汐見のことを母親のように慕っている。
大好きだからこそ彼女に迷惑をかけたくない。

「なにかあったら電話するから」
「絶対ですよ?」
「うん」

杏は亡くなってしまった母親を思い出してしんみりとする。
女手ひとつで杏を育ててくれた杏の大好きな母(ひと)。
おおらかで優しく、自由奔放な杏を理解し、いつだって笑顔で杏を抱き締めてくれたのだ。
観葉植物が大好きでボロいアパートをジャングルにして大家に怒られたこともあった。
たったひと株のポトスが育ちに育って部屋を覆い尽くしたのもいい思い出だ。
その精神は杏にも根づいている。
いつか大きい家に住んだらもっともっとジャングルにしようね、と母親と約束をしたのだ。
就職も決まりやっと母親の約束を果たせる、そう思った矢先の事故死だった。
悲しみに暮れ、落ち込んでいる杏のそばに寄り添っていてくれたのははるかだけ。
おかげではるかには杏も頭が上がらない。
ぼんやりと当時を思い出しながら杏は目を閉じる。

「明日はお休みですけど、様子を見に来ますね」
「ありがと」

汐見が寝室に大量のペットボトルを置くと名残惜しそうな顔をして帰っていった。
大丈夫と言った手前、なんとか今夜一晩は乗り切らないといけない。
祐哉は今ベニスにいる。
佳の主演した映画がノミネートされたため、佳と共に渡航しているのだ。
惜しくも賞は逃したらしいがそんなもんでしょうとは祐哉の言である。

「お土産をたくさん買ってきますよ。私がいないあいだに浮気をしないように」
「し、しないよっ」
「契約違反をしたらわかってますよね?」

にっこりと笑った祐哉に杏が笑みを引きつらせた。
信用がないと言われたらあまりにあまりだが、事実信用はない。
一度やらかしてしまっている以上杏もなにも言えないのだ。

「早く治さなきゃ」

明後日には祐哉は帰ってくる。
こんな姿を見られた日にはどうなるかわかったものではない。
具合がよくなるまで絶対に会社とマンションの送り迎えをすると言うに違いないのだ。
現に今でも、送り迎えをすると言って聞かない祐哉である。
はぁとため息をつくと杏はシーツを肩まで引きずり上げて体を丸めて眠りについた。
風邪をひいたり熱を出したりすると決まって母親が夢に出てきて杏を励ますのだ。

「今日も、夢に、出てくるの、かな」

ふふっと笑うと杏は幸せな気分に浸りながら眠りについた。


くーちゃんのご両親は身寄りなし同士という設定なのでくーちゃんにはもう家族がおりません。
今後の話にちょこっと出てくるのでこれ以上は書きませんが(想像がつくとは思いますが)くーちゃんにもいろいろあるのです。
こんな暗い設定いらないよと思われるかもしれませんが、作ってしまった以上逃げれないのでご勘弁を。

2014/05/18 投稿。


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